2009年10月18日日曜日

チャンスの通り道


子供の頃、砂場で城や町を作ってその中を水が流れるように、よく水路を作ったものだ。

あの時、勢い良く流れた水のように、きっと多くの物事が、同じ法則に導かれ、同じような振舞いをするのだと思う。

ところで僕の愛用しているIntel MACが、よりにもよってライブの大詰め作業に差し掛かったこのタイミングで壊れてしまった。

アップルストアのジーニアス・バーに急いで持ち込んだものの、早くても修理に数日〜1週間ぐらいかかるかも、との診断。

オー・ジーザス!!

なんという試練!!

動かなくなったMACを、こりゃもう絶望的…と途方に暮れ呆然と見つめること数十分、ふと部屋の片隅で寝息をたてながら鎮座する引退したG4 MACが目に入った。

今までの作業は振り出しに戻るけれど、もう一度、水路を作り直して水を流すチャンスは残っているかも知れない。

とはいえ、何もなかったように、涼しい顔してステージに立つために残された時間はごく僅か。

今できることと、できないことを迅速に見極め、なんとかこの大ピンチをチャンスに変えるぐらいの道筋をつくらなくてはならない。

それにはチャンスが何処に向かって流れてゆくものなのか?自分の経験値から推測するしかなさそうだ。

僕の目には、チャンスとは『純粋なる欲求』と『ひた向きな日常的な努力』が交差する地点に向かって流れていくように見える。

子供の頃、砂で作った町の中を、どうすれば水が流れるのか?誰に教わるでもなく、遊びながら学んだように、

あるいは、水がどう流れるかを工夫することに楽しさを見出していたように、

絶望の砂で作ったステージまで、チャンスが勢いよく流れ込むような水路作りを、最後まで諦めることなく、大いに楽しんでみたいものだ。


P.S.
ロックオペラ『HAMLET』で大変お世話になった加藤和彦さんのご功績を偲び、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

2009年10月13日火曜日

目には目を

コアーズの『Only When I Sleep』を聴きながら見上げる空が好きだ。

壁にもたれ、流れる雲があれば、なおのこと良い。

エモーショナルな想いが音楽と景色によって増幅され、

それが更に相互に作用して、音楽も景色も想いもより一層、鮮やかさを増す。

そう言えば、幼少の頃から空を見上げる頻度が人より少し多いように思う。

パーセンテージで言うなら、+15%といったトコロだろうか。

例えば電車の窓辺で、スクランブル交差点で、スタジアムで空を見上げる。

周囲の人々が携帯でメールを打ち、信号の色が変わるのをカウントダウンし、

一進一退の攻防を観戦してる時に、僕は一人空を見上げていたりする。

けれど、空を『見上げて』いる時、必ずしも空を『眺めて』いる訳ではない。

白い雲をノートにして詩を書いていたり、

星の位置を確認しながら記憶の地図を広げていたり、

流星に飛び乗って地球の裏側や何千年も前の見知の世界を旅していたりする。

今日はホントは空を見上げる行為について書きたかったのではなく、

物思いに耽る瞳を覗き込むと、その中に物語や音楽が見えてくる時があるって事や、

音楽が聴こえてくる瞳とは、かくも美しいものであるって事について書きたかったんだけど、

上手い表現が見つからない内に、なんだか別の事について書いてしまっていた。

「目は口ほどにものを言う」というのと同じような事なのかもしれないけれど、

瞳って本当にすごいコミュニケーション・ツールなんだと思う。

11/1のライブに向けて、『Eyes of the Einstein Zoo』を聴きながら、このアルバムで、

すごく『瞳』にこだわっていた事を色々と思い出して来た。

「きみが『Einstein Zoo』を見てるのか?それとも『Einstein Zoo』がきみを見てるのか?」

この部分の詩は、当時テレビ画面をイメージして書いたんだけど、

パソコンのモニターや携帯の画面を覗き込む姿が、一番この詩の本来のイメージにピッタリくる。

僕がインターネットを見てるのか?それともインターネットが僕を見てるのか?

とっても面白いクエスチョンじゃないか。



2009年10月12日月曜日

あの夏はポラロイドの中に

知らなかったんだけど、ポラロイドカメラは生産終了してしまったのだそうだ。ポラロイドフィルムも同じく生産終了。


そういえばJUST POP UPでも、ポラロイドには随分と活躍してもらった。


ポラロイドは何故か小説や音楽や映像と相性が良い。


『デジカメ画像』と書くと説明的だけど『ポラロイド写真』と書くと何故か胸がキュンとするから不思議だ。


そんな訳で今日のインストアイベントでは長年愛用したポラロイドに代わって、次世代ポラロイド的存在の『Xiao(シャオ) 』がデビュー。


ポラロイドが小説や音楽や映像の世界からも、少しずつ姿を消していく事は、なんとも寂しいかぎりだけど、Xiaoも、なかなかチャーミングなカメラだ。


イベントもお陰様で無事終了。大画面大音量での映像も楽しかったし、なんといってもインストアはみんなのリアルな声を聞けるところが良い。


それと、今日はいつもより男子が多かったのが印象的だった。やっぱり同性にも応援してもらえる事は、スゴク嬉しいな。


画像はステージに向かう直前。楽屋でパチリ。

2009年10月8日木曜日

王者の塔/アーティスト・アイデンティティーの再構築

カラフルな積み木を使って王者の塔を作ることにした。

まずは黄色い四角形のブロックを土台にしないことには話が始まらない。

ここで言う黄色い四角形のブロックとは67年製の箱入りの『魂』のことだ。

よく見るとこのブロック、所々に大小様々な傷があって、本棚の隅のアルバムの中で眠るモノクロ写真のように、様々な記憶を鮮明に呼び醒ますような力を秘めている。

次に支えとなる円柱を用意する。

柱一本でも塔は作れるが、一陣の風にも倒れそうでは、どうにも心許ないので、やはり、ここはシッカリとした円柱を四本揃えたい。

『力』と『自由』と『純心』と『知識』を、この塔の柱とすることにした。

それぞれを配置する方位と色にも気を使いたい。

その意味を知らずして失敗した経験を基に、慎重に配置することが、とても重要だ。

ここで先を急がず、一息入れるのも良い案と言える。

ちなみに僕はMTVのサイト でマイケル追悼のマドンナの感動的なスピーチ とジャネットのパフォーマンス を見てひと休みした。

あまりに内容が素晴らしく、興奮した気持ちをクールダウンさせるために、最近一番のお気に入りのJETのロックバラード『Shine On 』のPVも見てふた休み。

ちょっとした道草で、時に目的以上の発見をしてしまうことがある。

お気づきの方もおられるだろうが、このひと休みで、残りのブロックを積み上げるまでもなく、塔は完成したも同然となってしまった(笑)。

けれどそこは他力本願で目的成就とはせずに、あくまで独力でのフィニッシュを目指す。

イメージを決定づける塔の顔とも言うべき傘の帽子を被せる前に、円柱を上から固定する意味合いも併せ持つ天板となるブロックを設置する。

土台は上を、天板は下を支える役目を担うが、土台と天板との大きな違いはもちろん、その安定度にある。

そんなことから、まさに今もっとも大切にしている『覚悟』を天板ブロックとして採用する。こいつがあれば、少々のことで倒壊する心配もない。

さて、いよいよ塔の傘の部分となる帽子を設置する。ここで残念ながら、手持ちのブロックには一番シックリ来そうな円錐のブロックがないことに気づく。

あれこれ悩んだ末、三角のブロックを2つ合わせて傘とすることにした。

どこかで円錐を手に入れるまで、イマイチ格好がつかなくても、ここは『覚悟』を置き台にしながら、『己を信じる心』で作った三角形と『未来への希望』で作った三角形を組み合わせ傘の帽子を作る。

最後に天辺にオマケのお飾りを載せる。ここにはあえてブロックを使わず、何か今の自分らしい『個性』や『主張』を光らせる。これで、ようやく王者の塔の完成だ。

余談になるが、この塔、完成と同時にスグに崩してしまった…。

何故かって?

道草で何気なく見たマドンナのスピーチは、まるで初めてジミーヘンドリックスを聞いた時のようにロックの魂を感じたし、

積み木をしながらiTunesで流していた購入したばかりのJETのセカンドアルバムも09年の栄冠はすべて頂戴したと言わんばかりの傑作だったからだ(←この時は実は『Shine On』を最新アルバムと勘違いして購入してしまったのだが、3rdアルバムの『シャカ・ロック』が最新盤。こちらも名盤)。

こんな時は素晴らしさを讃えて大きな拍手を贈ると同時に拳を強く握りしめなくてはならない。アーティストしての誇りを胸に、その拳を悔しさとともに頭上高く掲げる必要があるのだ。

そしていつの日か、その拳で、頭上の壁となる天井を突き破ることが出来た時こそ、そこに本当の王者の塔がそびえ立つ。

王者の塔とは、完成と同時に崩れ去る宿命を負っているもの。

そして、脆くも崩れ去った積み木に耳を傾ければ聞こえて来るはずだ。

『再構築せよ!!』とシャウトする声が。