2009年10月13日火曜日

目には目を

コアーズの『Only When I Sleep』を聴きながら見上げる空が好きだ。

壁にもたれ、流れる雲があれば、なおのこと良い。

エモーショナルな想いが音楽と景色によって増幅され、

それが更に相互に作用して、音楽も景色も想いもより一層、鮮やかさを増す。

そう言えば、幼少の頃から空を見上げる頻度が人より少し多いように思う。

パーセンテージで言うなら、+15%といったトコロだろうか。

例えば電車の窓辺で、スクランブル交差点で、スタジアムで空を見上げる。

周囲の人々が携帯でメールを打ち、信号の色が変わるのをカウントダウンし、

一進一退の攻防を観戦してる時に、僕は一人空を見上げていたりする。

けれど、空を『見上げて』いる時、必ずしも空を『眺めて』いる訳ではない。

白い雲をノートにして詩を書いていたり、

星の位置を確認しながら記憶の地図を広げていたり、

流星に飛び乗って地球の裏側や何千年も前の見知の世界を旅していたりする。

今日はホントは空を見上げる行為について書きたかったのではなく、

物思いに耽る瞳を覗き込むと、その中に物語や音楽が見えてくる時があるって事や、

音楽が聴こえてくる瞳とは、かくも美しいものであるって事について書きたかったんだけど、

上手い表現が見つからない内に、なんだか別の事について書いてしまっていた。

「目は口ほどにものを言う」というのと同じような事なのかもしれないけれど、

瞳って本当にすごいコミュニケーション・ツールなんだと思う。

11/1のライブに向けて、『Eyes of the Einstein Zoo』を聴きながら、このアルバムで、

すごく『瞳』にこだわっていた事を色々と思い出して来た。

「きみが『Einstein Zoo』を見てるのか?それとも『Einstein Zoo』がきみを見てるのか?」

この部分の詩は、当時テレビ画面をイメージして書いたんだけど、

パソコンのモニターや携帯の画面を覗き込む姿が、一番この詩の本来のイメージにピッタリくる。

僕がインターネットを見てるのか?それともインターネットが僕を見てるのか?

とっても面白いクエスチョンじゃないか。